ガンダム00 第3話 変わる世界の感想。
「世界が……世界が変わってる!?」
って、あんたー、簡単すぎやしませんか?作り話だよね全くw
まあ、作品の作り方がヘボでも、こんだけネタをながされりゃ、いやでも少しは面白くなってきた。
散々けなしてきたけれど、作劇法としてツマラナイといっているんで、ネタ自体は十分楽しんでますよ。
デキル敵役として登場のグラハムは、やはりエクシアに圧倒されるが、引き際のタイミングを心得ているのが、コーラサワーとは違うところ。
ライフルの破損のみで、戦闘データと、塗料を持ち帰ったw
で、戦闘データだが「パワーはフラッグの6倍」ねぇ。
いや、それは別に凄いとは思うけど、単にセリフでいうだけってのが、芸のないところ。
アニメなんだから、喋らせて表現するっていうのは、下手な証拠だよ。
「この機体をチューンして頂きたい」「パイロットへの負担は?」「無視して戴いて結構」
さすがグラハム君、トールギスってわけだね。そこまで性能アップできれば良いけどw
グラハム君とユニオンだけで1話集中して消化すれば良いのに、あっちゃこっちゃに視点が移動するのが、ガンダムOOの気に食わないところ。
そんなんだから、キャラに感情入れ込めない、ストーリーの要点が拡散する、詰め込み過ぎで演技が出来ず喋りで誤魔化すんだな。
そして今回はもう一人の敵役が登場する。といっても、もう1話で既に出てはいるんだけど、コーラサワー、グラハムに続く、エクシアと戦った第3の戦士という意味。
人革連のセルゲイ、さすがオッサンだけあって頭を使い、一時はエクシアの動きを封じる。
が、やはり、切り札のビームサーベルに破れる。
ここで気付いたのだが、どうやらビームサーベルは最初からは使えないようだ。時間制限か、ガンダムの動力源の秘密に関係があるのか?
セルゲイの戦闘、ティエレンのもっさりとした機動が、ガンダムのすばやさの対比となって面白い。
しかし、戴けないのは、どうしてエクシアが、セイロンに再び現れたのか?
キュリオスが南米の麻薬畑を焼き払い、デュナメスが南アフリカの鉱山を襲撃したのは、まあ分るが、エクシアは単に軍隊が居るというだけで行ったのか?
セルゲイと戦闘させるためだけに行かせたように見えてしまうのが、シナリオの甘いところだ。
グラハム君とセルゲイ、それぞれの対エクシア戦を核とした、ガンダム00 第3話 「変わる世界」のストーリーだが、先に書いたように視点があちこちに飛び回る。
シャトル内のグラハムから、東京のマスコミ局内、人革連の軌道エレベーターに集まる4人のマイスター、ユニオンのグラハム、東京の謎のカップル、セイロンのセルゲイ、またユニオンのグラハム・・・
文章に書いていてもイヤになっちゃうほど、シーンが細切れに切り替わる。
まあ、ガンダム00 第1話から、ずっとこの調子であり、こういうやりかたを変える気はないのだろう。
そりゃ、1話、2話に比べりゃ、話の筋も見えてきて、いくぶん分り易くもなってきてはいるが、こういう視聴者に努力を強いるような見せ方は、如何かと思う。
普通は、3極対立の複雑な世界であっても、ある立場に所属する一人の人間を常に追いかけ続け、その人間の視点を通して、外の世界を表現していく物である。それが主人公であり、分りやすいストーリーというものだ。
ところが、ガンダム00は、そうしたセオリーを無視した作劇法である。
一応、刹那が主人公らしくはあるが、視点は彼の物ではない。世界の万物を覗く神の目があり、特定のキャラを追うのではなく、ソレスタルビーイングの介入によって起きる事象を追っかけている。
ガンダム00の第1話、第2話の感想では、一般的なキャラクター中心の視点を追っかけるスタイルでもって、面白くない、駄作といった評価をしていたのだが、制作者は、そういうスタイルでの表現に興味はないように見える。
どうやら、視聴者は今後も見続ける気があるなら、キャラクター中心主義を諦め、話の筋を追ったり、世界観を眺める方を楽しむ事に、軸足を移す必要がありそうだ。
いや、とっくの昔に、ガンダム00を面白いと評価する人たちは、その見方なんだろう。
まあ、いいやその見方で。でも、それならご都合主義なストーリーは尚更まずいじゃないか。
IRAが武装解除とか言っていたが、唐突過ぎるだろう。
彼らの資金源が、麻薬や鉱山だったって事ですかね?その辺はまた来週なのか?